ミックスエンジニア・山崎寛晃に聞く、「型にはまらない」という生き方。

ある夜、海外のクラブで見たDJ KRUSHのライブが、山崎寛晃の進路を決めた。そこから20年ほどをかけてミックスエンジニアとしてのキャリアを積み、今年、憧れ続けたその人自身のアルバムをミックスするに至る。山崎寛晃に、彼を形作ってきたものを聞いた。

MBAか、音楽か。DJ KRUSHのライブがすべてを変えた

新卒で入った会社を1年ほどで辞め、なんとなく海外に出た山崎。勉強が得意だったこともあり、MBAを取って堅実なキャリアを歩むか、それとも別の道に進むか、漠然と迷っていたという。答えを出せずにいたある夜、クラブでDJ KRUSHのライブを見て、その迷いは消えた。

「外国のクラブのお客さんって日本と比べるとDJのクオリティにシビアなんですけど、KRUSHさんのDJですごい人数が踊ってるのを見て、めちゃくちゃかっこいいと思って。その時に、もやもや考えてたことがしょうもないことに思えてきて。これだ、と思いました」

MBAという選択肢はその一夜で消え、代わりに「この音楽に関わりたい」という思いが芽生えた。調べていくうちに、DJ KRUSHのミックスを手がけているのが、のちに自分の師匠となる人物だと知る。

山崎寛晃
Photo: Hiroaki Yamazaki

専門学校を辞め、師匠のもとへ

帰国後、大阪の専門学校に進むが、答えはそこにはなかった。ネットで見つけた師匠のアシスタント募集に応募し、学校を辞めて上京する。

そこから15年ほどをかけて、師匠のもとでさまざまなアーティストの仕事に携わりながらキャリアを積み、2020年に独立し、ミックスエンジニアとしての自身のキャリアが本格的に始まる。

山崎寛晃
Photo: Hiroaki Yamazaki

憧れの人から届いた、まさかの依頼

独立後、紆余曲折を経ながら仕事を重ねる中、ある日思いがけない依頼が届く。DJ KRUSH本人からのオファーだった。きっかけは、渋谷での偶然の再会だったという。

「たまたま渋谷で会った人がKRUSHさんの元スタッフで、その人が紹介してくれたらしくて。それで連絡が来た。最強のエピソードですよね」

かつて自分の進路を決定づけた張本人からのオファーは、山崎にとって特別な意味を持つ。ジャケットのクレジットに自分の名前が入っているのを見たとき、「人生の集大成と言っても過言ではない」と語った。

DJ KRUSH『TOKYØHUM』——〈http://djkrush.jp/jp/1850/〉

DJ KRUSH『TOKYØHUM』
DJ KRUSH『TOKYØHUM』——〈http://djkrush.jp/jp/1850/〉

仕事を離れると、また別の顔がある

現場を離れた山崎の生活は、また少し違う顔を見せる。妻でありアーティストのyukaさんとは、一緒に曲を作ることもあるという。ストリーミングを使わず、Bandcampだけで作品を発表するスタイルを貫いている。

yuka——〈https://yukaneu.bandcamp.com/〉

こうして家でも音と向き合う一方、頭を空っぽにする時間も欠かさない。日課にしているのが、毎日10分間の座禅だ。制作に行き詰まったときの、自分なりの切り替え方だという。

「したからってすぐ何か思いつくわけじゃないんですけど、翌朝とかにふっと降りてくることが多い。一回離れることで、脳が静かになる感じがする」

近所の若い世代がラップをやっていると聞けば、ビートを作って渡すこともある。仕事としてではなく、あくまで個人的な支援として。目の前の締め切りとは別のところで、山崎はこうして次の世代とも関わり続けている。

山崎寛晃
Photo: Hiroaki Yamazaki

次は、決めずに流れに乗る

DJ KRUSHという長年の目標を果たした今、山崎はあえて次を決めていないという。

漠然と語られたのは、「次の目標を探しにベルリンに行くかもしれない」という話だけだった。目標を決めて走るというより、流れに身を任せる中で、今度は自分が誰かの入り口になれたらいい。近所の若い世代にビートを渡すような関わり方も、その延長線上にある。

大きな目標をひとつ終えたばかりの今、次の入り口はまだ見えていない。それを急いで探しにいかないところもまた、山崎らしいのかもしれない。

PROFILE

Hiroaki Yamazaki

Mix Engineer

ミックスエンジニア。海外でDJ KRUSHのライブを見て音楽の道へ。師匠のもとで15年ほどキャリアを積み、独立後にDJ KRUSH本人のアルバムをミックス。DJ KRUSH『TOKYØHUM』などのクレジットを持つ。妻・アーティストのyukaとBandcampで作品を発表。

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